日光東照宮

陽明門-ようめいもん- 陽明門の名称は、宮中(現・京都御所)十二門のうちの東の正門が陽明門で、その名をいただいたと伝えられる。江戸時代初期の彫刻・錺金具-かざりかなぐ-・彩色といった工芸・装飾技術のすべてが陽明門に集約され、その出来栄えは一日中ながめていてもあきないので日暮らし門-ひぐらしもん-とも呼ばれる。
 とりわけ見事なのが、500を超える彫刻の数々だ。中央が盛り上がり、両端が反り返った曲線を特徴とする唐破風-からはふ-の軒下に掲げられた「東照大権現-とうしょうだいごんげん-」の額の下で2段に並んでいるのは、上が竜。下はちょっとミステリアスな「息」。「いき」と読むのか「そく」なのか、その読み方すらいまだに不明という。上段の竜との違いは、牙-きば-があってひげがないことと、上くちびるに鼻孔-びこう-があることだ。
 額の両横にある彫刻は麒麟-きりん-。ビールのラベルに描かれた麒麟には体に鱗-うろこ-があるが、東照宮の麒麟には鱗がない。中央部、白塗りの横木(頭貫-かしらぬき-)に彫られた宙を舞う通称「目貫-めぬき-の竜」の左右に勢ぞろいしているのは竜馬-りゅうば-。足に蹄-ひづめ-のある竜だ。麒麟によく似ているが、麒麟は1角、竜馬は2角、麒麟は牙を持っているが竜馬には牙がない。さらに、麒麟の蹄は先が2つに割れた偶蹄-ぐうてい-、竜馬の蹄は割れていない奇蹄-きてい-。そして、竜馬が竜の一族である証拠に体に鱗が生えている。こうした識別方法がわかってくると、東照宮がワンダーランドに見えてくる。
 東照宮の建物に刻まれた彫刻の総数は5173体。最多は本社-ほんしゃ-の2468体(本殿-ほんでん-1439体、拝殿-はいでん-940体、石の間-いしのま-89体)、次いで唐門-からもん-の611体(7センチ×9センチの小さな花の彫刻が400体もある)、陽明門が3番目で508体。彫刻をテーマで分類すると人物、霊獣-れいじゅう-・動物、花鳥、地紋(一定の図形が 繰り返される文様)の4つになり、それらが使われている建物や場所に、法則があるという。例えば、人物の彫刻があるのは陽明門と唐門に限られている、霊獣の唐獅子は陽明門に、獏-ばく-は本殿にそれぞれ集中している、といった具合である。
 日光東照宮の建物を代表する陽明門は、高さ11.1メートルの2層造り、正面の長さが7メートル、奥行きが4.4メートル。胡粉-ごふん-(貝殻をすりつぶしてつくった白色の顔料)を塗った12本の柱には、グリ紋と呼ばれる渦巻状の地紋が彫られている。
 有名な「魔除けの逆柱-まよけのさかさばしら-」は、門をくぐり終わる左側の柱。グリ紋の向きがこの柱だけ異なっている。
 これと同じ逆柱が、本社の拝殿と本殿に1本ずつあることは一般にはあまり知られていないようだ。
 グリ紋それ自体に魔除けの意味があるといわれているが、「家を建てるときは瓦-かわら-3枚残す」という言葉があるように、建物は完成した瞬間から崩壊が始まる。それなら1か所だけ仕様を違え、建物はまだ未完成であると見なし、建物が長持ちするよう願った、という推理もできる。

一日中見ていてもあきないことから「日暮らし門」とも呼ばれる国宝の陽明門。陽明門は真南を向いて建っている

通路の間天井に描かれた狩野探幽による「昇(のぼり)竜」(左)と「降(くだり)竜」(右)。昇竜は別名「八方にらみの竜」、降竜は「四方にらみの竜」とも呼ばれている。

陽明門の裏側。陽明門には、霊獣と呼ばれる想像上の動物が194体いる

陽明門の彫刻群。陽明門は計508体の彫刻で飾られている

後水尾天皇の筆による勅額

紋様を逆にして未完成の部分を残したらしい魔除けの逆柱(右から2本目)

北面左側中央の柱にある「木目の虎」


陽明門に「いじめ」の彫刻があると言えば、驚く人も多いだろう。俗に「唐子-からこ-(中国の子ども)遊び」と呼ばれる20の彫刻のなかに、腕力のある子の「弱い者いじめ」の場面を見ることができる。なぜ、徳川家康公をまつる天下の陽明門に、こうした子どもの彫刻があるのだろうか。
 その答えは「平和への願い」だろう。平和な世界にこそ、子どもたちはのびのびと暮らすことができる。そして、次の平和な世界を築くのも子どもたちだ。その意味で、子どもはどんな時代でも宝物以上に大切なのである。子どもに「正しい道を歩んで平和の礎になってほしい」という家康公の願いを、唐子の彫刻は訴えているのである。

片肌を脱いだ体格のいい子どもが暴力を振るっている。止めている子もいれば、素知らぬふりをする子も。あなたは、いつもどうしてる?

「司馬温公の瓶割(かめわり)」。中国の政治家・司馬は子ども時代、水瓶に落ちた友達を救うため大切な瓶を割った。生命の大切さを教える彫刻が、陽明門の正面中央に置かれている。

雪でつくったクマを棒で壊そうとする子どもがいる。左端の子は泣き出した。
 
江戸時代に流行した「子とろ子とろ」の遊び。今でいう鬼ごっこに興じる子どもを描いている。

「遊びをせんとや生まれけん」という子どもの姿が描かれている。右の2人は竹馬に乗っている。

昔も今も雪の日の子どもは元気いっぱい。雪だるまをつくってから、雪合戦も始まりそうだ。